ココナッツの花から生まれる砂糖
ボロブドゥールの砂糖工房へ
インドネシア・ジョグジャカルタから車で1時間半ほどのボロブドゥール。舗装道路を抜けてカンポンエリアに到着。なんて気持ちがよいのだろう。雨期とは思えない晴天で、澄み渡る空気に鳥の声。鶏があちこち自由に歩き回り、牛がのんびりと首を振る。
すでに砂糖を作る作業が始まっている時間帯。案内された小屋に入ると薪火の上に鍋がふつふつと煮立っている。かなりの強火だ。
おじゃましたのは、カンポン・グラのジャジンさんの工房。「グラ(gula)」とは砂糖のことで、ジャワ島ではココナッツヤシ砂糖を「グラ・ジャワ」と呼ぶ。砂糖作りはすべて手作業。樹液をとるのはジャジンさんのお父さんの仕事で、毎日20メートル以上の木に登るという。20メートル!相当な高さだ。
ココナッツの花の樹液から作る砂糖の歴史は古い。この地域ではサトウキビよりずっと早くから親しまれてきた味だ。少なくともボロブドゥール寺院が建てられた8〜9世紀にはあったという。ココナッツがいたるところに自生し、その花の樹液は甘くて、でも放っておくとすぐに発酵してしまうので煮詰めて保存しよう、となったのは自然な成り行き。とにもかくにも豊かな土地のなせる技。でも、決して簡単に作れるわけではない。
知恵と工夫が詰まった味
竹筒で集めた樹液は、持ち帰ったらすぐに炊き始める。鍋炊きの担当はお母さん。大きな鍋で強火にかけ、およそ2時間。ちょうどよい粘りが出てきたら薪の火を調整し、弱火でさらに1時間。煮詰まってきた砂糖を絶え間なくかき混ぜる。かなりの重労働だ。お母さんの手つきを見ていて、自然との共存は根気と筋力が重要なのだと実感。火からおろすタイミングの見極めも重要だ。
できあがったグラジャワを、ていねいかつすばやくココナッツの殻に詰めていく。固まったものを少し冷ましてからパッキング、そして市場へ。10本ほどの木から6リットル以上の樹液を集め、1日2〜3キロの砂糖を作る日々。
上質のグラジャワは、ほどよく硬い。ほろほろと崩れるのではなく、パキッと割れるような状態にするためには、粘度が非常に重要だという。この日の仕上がりは上々。
砂糖を固めるための型、砂糖を冷ますザル、かき混ぜるお玉など、ここまでの道具はすべて身近な素材。「あるものを工夫して使っているだけ」というが、それがもう、たまらない美しさ。もちろん、薪も敷地内の木や竹を利用している。生活のためのガスや電気はもちろんある。けれど、基本は自然のエネルギー。このときも熾火で湯浴み用のお湯をわかしていた。
いよいよグラジャワ完成。「食べてみてください」と差し出されたものを一口。熱い!そして、すばらしく豊かな風味!!
最後の最後に鍋からこそげとったものは、成形はできないため市場には出回らないが、いろいろな風味が濃縮されたおいしい部分だそう。子どもが競って食べたがる、そんな端っこ。それをこの日は私がいただいてしまった。これは宝物!大事に抱えて持ち帰り、風味が落ちないうちにこのグラジャワでクエを作ろう。近々予定しているワークショップで参加者にも味見してもらおう。
自然との一体感
工房の外も案内してもらう。ここでは植物も動物もなんとも自由に生息しているようにみえる。畑とか牧畜という感じではないのだ。ココナッツに加え、バナナ、パパイヤ、キャッサバ、コーヒーの木などなど。お隣の家ではマリーゴールドがきれいに咲いていたので、新たに種をまいたりもするのだろうけれど、基本は「自然に生えてくる」らしい。
「日本では畑を耕すときに同じところに同じものを植えてはいけないといいますが、このあたりでは、ひとつの区画にいろいろな種類の作物を一緒に植えるんです。その中でも密生しやすいのがココナッツとバナナ。これはもう天からの恵みという感じで最大限使うんですよ。実際、捨てる部分はほとんどないと聞きます」と説明してくれたのは、この日の案内と通訳をお願いした中辻朝さん。ボロブドゥールに住んで10年になるという彼女は、ジャワ人の生活や慣習にも詳しい。
「あそこにいる牛は、いわば『財産』です。食べるわけでもなく、ミルクをしぼるわけでもなく、だからといってペットでもない存在。あの牛や山羊の世話するのも仕事のひとつ。仔牛をずっと育てて、必要なときには売る。犠牲祭の前は高く売れますしね。鶏も、卵を産めば食べるけれど、基本的にはそこに一緒に暮らしている感じです」
話している間も、コケーッコッコと鶏が奔放に駆け回る。なんとものびのびとした姿だ。
人も動物も植物も、ある意味一体化して暮らしている。どういう言葉で表現するのが適切なのか分からないけれど、とにかく豊かでナチュラルで、さりげない。そしてバランスがとれている。そんな印象。
グラジャワの味と個性
ジャジンさんの工房のグラジャワは明るめの茶色。市場ではいろいろな色の砂糖を見たけれど、その違いはどこから生まれるのだろう?
「グラジャワは採れる地域によっても工房によっても色や味が違います。気候や天候、土壌、作業の仕方などが異なるからです。私たちのグラジャワはこのくらいがベストな状態。これ以上煮詰めると、苦みが出てしまいます」とジャジンさん。中辻さんの補足によると、工房によって味が違うので、お気に入りの工房でしか買わない、というこだわりを持つ人も少なくないという。日本でいえば、味噌やしょうゆに近い選び方かもしれない。
「ジャワ料理は甘い」とよく言われるけれど、ここ数日いろいろな料理を食べて確かにそうだと実感。辛いものは少なく、全体的に穏やか。その穏やかさのもとがグラジャワなのだと思う。それほどこの地の人にとって味の決め手になる重要な調味料なのだろう。
ところで、日本の黒糖作りには不純物を除去するために伝統的に石灰を使うことが多い。ジャジンさんのグラジャワはどうなのか聞いてみた。
「何も入れません。これは純粋に花蜜だけを煮詰めたものです。味をよくするために、ひとつまみのココナッツシュレッドを入れることはありますが」。よけいなものは一切入れず、ただひたすら煮詰めて混ぜる。高品質のグラジャワは100%純粋、熟練が必要な手作業から生まれるのだ。「ただ、残念なことに、市場で売られているものの中には、添加物を使ったり、着色したりしているものもあります。妙な苦みがあるものはやめたほうがいいです。体にもよくありません」。
ジャワの哲学が生きる
ところで、ココナッツの「花」の樹液というけれど、花らしきものが見当たらない。どこにあるのだろう?
ジャジンさんが指さしで教えてくれたのは、一見すると幼葉に見えるものだった。花が開いてしまわないうちに、先を切って竹筒をセットする。5-6時間経って樹液がたまったら取り外し、すぐに煮る。
「樹液を採ると、その花はもう実をつけることはありません。完全に樹液が出なくなるまでしっかりと採り続け、次の花に移ります。その周期はだいたい2週間〜1か月くらいです」。
ココナッツにもいろいろな種類があるそうで、私たちが見せてもらったのは、工房の近くの背の低い木。ジャジンさんの畑は少し離れたところにある背の高い品種だ。お父さんは今も現役でその木に登っている。
ジャジンさんが興味深い話をしてくれた。「私はまだ登ることを許されていません。花から樹液をとる仕事は50歳以上の人だけとされているんです。若いうちは強い感情があり、思考があちこちに動きます。だから集中することが難しい。この仕事には、あるがままを受け入れる心が必要なのです」。
この話を聞いた中辻さんが、「とてもジャワっぽい」とつぶやく。ジャワ人独特の哲学や考え方がこういう生活の中にも根づいている、ということらしい。「若いうちにはいろいろな体験をして、本当にこの仕事にフォーカスすると決めた人だけができるということなんでしょうね。大工さんもそうだし、ここで生活している人たちの代々の仕事って、昔の考え方がきちんとベースにあるんだなあと常々感じています」(中辻さん)。
もちろん、ジャジンさんも技術的には木に登ることができる。どの段階で何をするのか、子どものころからみっちり現場で教わっている。そして、実際に登って同じようにやってみたことはあるという。ところが、3か月以上登っても樹液が採れなかったのだそうだ。「まだ時期が来ていない、ということだと実感しました。樹液を採るのは、見ているほど簡単ではありません。心が作業に本当に寄り添っていないと、うまくいかないのです」。
これからの若い世代に、この技術や心構えをどう伝えていくか、ということは彼らの今後の課題でもある。新しい時代や世代に合わせた工夫は必要。けれどもそこにある環境とけんかせず、無理もしない。こうやって文化や自然が守られていく。
ここで生まれ、育ち、土地とともに生きる人々の暮らし。深い余韻が残る体験だった。
Visited on March 12, 2026











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